このたび約7年ぶりに鹿児島県を訪問いたしました。
まず、知覧特攻平和会館(南九州市)を再び訪問。
遺書や証言で浮かび上がってくる特攻隊員の人柄や苦悩。決して「美談」と言えるものではありません。尊い犠牲に敬意を払う一方で、非道な作戦を繰り返してはならないと、改めて思い知らされます。
次に、鹿児島県護国神社(鹿児島市)を参拝。先の大戦で犠牲になられた方々に哀悼の誠を捧げました。
靖国神社や全国各地の護国神社が戦没者を悼むための静かな場であって欲しいと、心から望むばかりです。
併せて、照國神社(鹿児島市)を参拝しました。
日本郵船の貨客船「照国丸」の由来になった神社としても知られています。照国丸は第二次世界大戦で当初は中立国だった日本が最初に喪失した商船です。
また、フェリーで桜島(鹿児島市)にも足を伸ばしました。
展望台から錦江湾(鹿児島湾)を眺めると、島内には大正時代に桜島の噴火で流れ出た溶岩が冷えて固まっていました。
続いて、鹿児島市立黒神中学校の前にある「埋没鳥居」へ。至るところに退避壕や退避舎が設置され、噴火に備えていました。
さらに、帝国海軍の基地が置かれ、いまも海上自衛隊 鹿屋航空基地が置かれる鹿屋市へと足を運びました。
かつて日本で最も多くの特攻隊員を送り出した土地。鹿屋航空基地 史料館は閉館していたものの、基地の前に展示されていたヘリコプターや固定翼機を眺めることができました。
こちらは鹿屋航空基地(鹿屋市)の裏手にある「桜花の碑」。特攻兵器「桜花」に乗って敵艦に体当たりした神雷部隊が水杯を交わした場所。
特攻(特別攻撃)は隊員の生還を最初から諦めた非道な作戦。決して美化できません。多くの命を無下にした愚かな過ちを繰り返さないのも、安全保障の役割だと確信します。
小塚公園(鹿屋市)にある鹿屋基地から出撃した特攻隊員を祀る慰霊塔も訪問。
鹿屋航空基地を望む高台に建立された慰霊碑には、戦没された特攻隊員の名前が刻まれています。
串良平和公園(鹿屋市)へ。教育航空隊が置かれ、飛行予科練習生が訓練に励んでいた場所。戦況の悪化で実戦部隊に編入され、特別攻撃隊の基地に転換。
かつて2本の滑走路が交差していた位置の近くには、戦死した特別攻撃隊および一般攻撃隊の隊員を祀る慰霊塔が建立されています。
最後に、霧島神宮(霧島市)を参拝しました。
約800年の樹齢を誇る御神木には、祈祷している人影にも見える枝もありました。霧島連峰を望み、木々に囲まれた空間は神秘的で、文字通り「神々しい」と形容できました。